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名古屋地方裁判所 昭和36年(ヨ)5号 決定 1961年1月30日

申請人 伊藤美恵子

被申請人 倉敷紡績株式会社

主文

被申請人は本案判決確定に至るまで仮に申請人が被申請会社安城工場の従業員であることを確認する。

申請人その余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、当事者双方の申立

申請人は主文第一、三項同旨並びに「被申請人は申請人を仮に右工場において就労させなければならない」旨の決定を求め、被申請人は本件申請を却下する旨の裁判を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、申請の理由

(一)  申請人は昭和三二年三月島根県簸川郡佐田村窪田中学校を卒業すると同時に被申請会社安城工場の従業員に採用されて今日に至つている。

(二)  昭和三五年二月一一日申請人の実父伊藤功(島根県簸川郡佐田村毛津在住)から突然申請人に宛て至急帰郷するようにとの電報を受け取つたが、之より先工場の同僚である申請外水谷和子が同様国元からの電報で帰郷したところ、被申請会社の職員に「共産党と関係しているから」という口実で退職を強要されたとの事実を聞知していたので帰郷を見合わせていたが翌日再度「スグカエレ」との電報を受け取つた。しかし申請人は依然として帰郷しなかつた。

(三)  翌一三日申請外伊藤功は被申請会社島根出張所長上山某と共に安城市へ来て申請人に対し「会社の方ではやめて欲しいと言つているから退社した方がよい。今のまゝ働いていても毎日睨まれていなければならないから親としても遠いところで毎日心配だから退社して呉れ」と懇願し、尚上山某も会社では申請人を使う気は全然ないから退社したらどうかと勧奨した。之に対し申請人は頑強に退社しなければならないような悪いことはしたことがないから退社はしないと言い張つたが、父の懇願に負けて一先ず帰郷することになり被申請会社に外泊証と休暇届(同月一五日から二〇日迄)を出した上、同月一五日帰省した。

(四)  帰省後申請外伊藤功は連日退社を強要し、休暇期限が切迫するのに拘らず外出を許さないので、申請人は同月一八日無断で家を出たが、親戚の者に連れ戻され、更に三月三日に至つて再度家族に黙つて安城へ帰るべく家を飛び出したけれども捜査願によつて保護され、連れ戻されるに至つた。

(五)  右のように申請人に退社する意思がないので、申請外伊藤功は恣に申請人名義の同月九日付退社届を作成した上之を被申請人に提出し、之が同月四日又は五日に被申請人安城工場へ送付されて之に基き被申請人は申請人本人の意思による退職願として依願退社の手続をとり、申請人の荷物、退職金、貯金通帳等を父親の指示通り国元へ送付した。

(六)  しかし前記退職届については申請人は何ら関与していない。退職願には申請人の氏名が記入され、押印も為されているけれども、之は申請外伊藤功が勝手に記入押印した偽造のものであつて何ら申請人の意思に基くものでなく当然に無効のものであるから、申請人は被申請人から依願退職の取扱を受ける理由はない。

又右退職願には保証人として父伊藤功の署名押印があるけれども労働契約の終了に当つて親権者等が未成年者の同意により未成年者に代つて労働契約を解除することの許されないことは労働基準法第五八条から言つても当然のことであるから、申請人の同意の有無、申請外伊藤功の私文書偽造について論ずる迄もなく、前記退職願は無効のものであつて、之に基く労働契約の解除も効力を発生しないものである。

(七)  申請人は追つて労働契約存在確認の訴を提起せんとするものであるが申請人は被申請会社において働く以外に希望もなく、故郷を遠く離れている現在の安城市においては生活を維持するにも不安と困難とが予想され生命の危険すら感じているので本申請に及ぶ。

二、被申請人の答弁

(一)  申請人が曽て被申請会社安城工場の従業員であつたことは認めるが、申請人からその父伊藤功を保証人として申請人の記名押印のある昭和三五年三月七日付退職願の提出があつたので、之に基き被申請会社は申請人を依願退職者として扱つたものであるから、同日以後被申請会社の従業員ではない。

(二)  申請の理由(五)(六)の主張について申請人が右退職願に全然関与していないとの点は否認する。申請人の父伊藤功作成の疏乙第三号証の一によれば同人において申請人自身の意向を確めたところ申請人は退社を承諾したが、その同志と父親との板ばさみの苦境に悩み、殆んど一日中泣き通して本人の記名押印をとることができなかつたので、伊藤功において申請人の同意を得た上、右退職願を代書し、之に代印したものであつて、かくの如き代書代印は通常行われている慣行であるから本件退職願は有効なものである。

(三)  仮に本件退職願が申請人自身の意思に基かないものであつたとしても、之を作成したものは申請人の親権者たる父申請外伊藤功であつて労働基準法第五八条第二項より不利な労働契約を将来にむかつて解除することができる権限を与えられているのであるから、本件退職願は申請外伊藤功において右権限を行使したものであつて、之に基く依願退社手続は有効である。

(四)  なお申請人は昭和三五年三月一五日被申請会社より送金した退職金一八、八六四円を受領し、且つ昭和三五年五月三一日被申請会社より離職票を受領し、その中において「家事都合による離職」であることを自認する旨の署名押印をなし、その後失業保険金を受領している。従つて申請人は退職の事実を自認しているものである。

(五)  更に本件申請については必要性が認められない。未成年者である申請人としては郷里に帰つて親権者の居所指定に従えば生活に事欠くことはあるまじく、又何故安城市で生活しなければならないのか何らの疏明もなされていないから仮処分はその必要性がない。

第三、疏明<省略>

第四、当裁判所の判断

申請人が曽て被申請人安城工場の従業員であつたこと、昭和三五年三月七日付申請人名義の退職願に基き、依願退社の手続がとられ、労働契約が解除されたこと、右申請人名義の退職願は申請人の父申請外伊藤功により作成されたものであることは当事者間に争がない。

そこで右退職願は申請人の同意を得て作成されたか否かにつき判断する。

申請人本人の審尋の結果、各疏明資料並びに裁判所の検証の結果によると、昭和三四年春ごろ申請人の父親伊藤功は被申請会社島根出張所長から申請人の思想傾向が一方的に偏して行くとの注意を受け更に同三五年二月始め同出張所長及び安城工場職員福元健から申請人が日本民主青年同盟に関係していること、それより先に共産党に関係したとの理由で静岡県出身の水谷某が退社したこと等を聞かされたので、一度申請人を郷里へ呼び戻して訓戒しようと考え、申請の理由(二)に記載されたような電報を打つたけれども申請人が帰省しないため、やむを得ず被申請人職員の両名と共に同月一三日安城へ来たこと、その際種々申請人と話し合つたが、申請人が激昂して会社は何故父親を呼んだのかとか、或は会社をやめなければならぬような悪いことはしていない、働きたいから等と強く反論し、更に同席していた島根出張所長からも退社の勧告を受けたので激しい口論となつた結果申請の理由(三)のように一旦父親の希望を容れて二月一五日帰郷したこと、帰郷後は連日のように父親から退社したらどうかという勧告を受けたが、申請人においては父親と話し合う態度を全然示さなかつたので、父親も勧告以外にはなるべく刺戟しないような態度を取つていたのに拘らず申請人は申請理由(四)の如く二月一八日及び三月四日の二度に亘つて安城へ帰るべく家を出て、その都度連れ戻されたこと、右のような態度を見て伊藤功としては家族の者に対する影響や或は対外的な思惑を考え退社させるより他には執る手段はないとして、三月六日夜から翌朝にかけ申請人に最終的に退社の承諾を求めようとしたが、同人が之に応ずる気配がなかつたので最終的な手段として承諾があつたものとして退職願(疏乙第二号証)を恣に作成して申請人の記名押印をした上、之を直ちに被申請人島根県出張所長宛速達郵便で送付し、これに基き申請人と被申請人との間の労働契約が解除され、申請人の荷物等も直ちに安城から送り返されたこと、この間の事情を知らないまゝ申請人は同月一四日に三度目の家出を決行し、安城へ一六日に到着してこの事情を工場関係者から知らされて非常に驚き、国民救援会等の援助を求め本件申請に至つたものであることを認めることができ、右認定に反する疏明資料は之を措信しない。

とすれば退職願(疏乙第二号証)は申請人の意思に基きその承諾の下に作成されたものでないことは明白であるから、無効のものと言うべく、之に基き為された労働契約の解除も又無効であつて、申請人は被申請人の従業員たる他位を依然として有しているものと言うべきである。

次に被申請人は申請人の親権者たる父伊藤功が労働基準法第五八条第二項により申請人に不利である契約を解除したものであると主張するが、申請人の本件労働契約が本人に不利であるとの疏明がないばかりか、各疏明資料によれば安城工場中には日新家政専修学校なる一般教養向上の為の教育も行われる等、種々の社会教育も施され、その他申請人の思想傾向から被申請人安城工場で就労させることが本人の将来の為不利であるとの考えも到底採ることのできないものであるから、この主張は排斥を免れない。

なお、被申請人は(一)申請人が退職金一八、八六四円を昭和三五年三月一五日受領した事実、(二)失業保険離職証明書に離職事由として「家事都合による離職」であることを自認する旨の署名押印を為し失業保険金の支払を受けている事実を以て申請人に退職の意思ありと主張しているけれども、右退職金受領は申請人自身の意思によるものではなくその父伊藤功の指示によるものであると認められるので、何ら右退職届の無効に影響するものではない。又その後に失業保険離職証明書に離職の事実を自認し且つ失業保険金の支払を受けたことがあるとしても、前記認定の如く自己の意思に基かざる退職願による雇傭関係の合意解除に対し当然には遡及して影響を及ぼすものとは考えられないから、右主張は孰れも採用することはできないところである。そこで保全の必要性について考えてみるのに、前判示の如く申請人と被申請人との間に労働契約関係が尚継続しているのに拘らず、申請人が従業員でないものとして取扱われることは労働者たる申請人自身の生活上著るしい損害を蒙るものと言うべく地位確認の本案判決に至る迄、仮に申請人の地位存続を確認することは右のような現在の著るしい損害を防止する為必要があるものと言わなければならない。

次に申請人の安城工場への就労請求については、もともと労働契約が労務の提供と賃銀の支払とその基本的な要素としているところ、労務の提供は労働者の義務であつて、之を使用者に対する権利として考えるべき性質のものではない。勿論業務の性質上賃銀の支払を受けるのみでは著るしき精神的不安、精神的苦痛を蒙るとか、或いは自己の有する技能が低下するという特別の状況が存在する場合は之を権利として請求し得る場合もあるであろうが、本件においては申請人が右のような特別の状況の存在することを主張も疏明もなしていないから、結局就労請求の部分については失当として却下を免れない。

よつて本件申請のうち、地位存続を求める部分は理由があるから正当として之を認容し、就労請求を求める部分は失当として却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条但書を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 伊藤淳吉 村上悦雄 水野祐一)

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